社会のねじにはなりたくない!と、盗んだバイクで

水スペの機械の体=ねじネタ*1で、
社会の歯車になりたくないとか思ったり、普通に働いて普通に結婚して普通に年取って…のにいまいちピンとこなかったりする*2のは、
やはり銀河鉄道999が結構トラウマってるのも一つではなかろうかと思ったりしている。
むしろ、アンドロメダの先にある機械の体をタダでくれる星に行って永遠の命を手に入れて母さんの分まで生きるんだって苦労してたどり着いた結果がこれだよ*3って、感受性の強い時期に見てトラウマらないわけがないと断言。
そのへん、リトバスのクドシナリオで世界の良き歯車になれと、自分から歯車になろうとするクドに共感できなかったりしたりも。
いや、しかし、クドが帰りたいと言ったことと、鉄郎がねじになることを受け入れたことと重なるのか?
まーでも最近は社会人だろうがニートだろうが誰も彼もいやおうなしに社会に組み込まれてしまうものな気もしているのですがって、閑話休題




また、それはさておきで*4、なんとなくねじが気になってwikipediaを見たわけですよ。すると、

ねじ - Wikipedia

ねじ構造はアルキメデスのような天才機械学者によってのみ思い描くことができた

ねじは中国で独自に生み出されなかった、唯一の重要な機械装置である

日本には、1543年に種子島に漂着したポルトガル人の所有していた火縄銃とともにねじが伝来したとされ、(略)、銃を模造しようとした刀鍛冶は、自分の娘をポルトガル人に嫁がせてまで、ねじの作成法を習得したとする伝説さえ残っている。

撃発の圧力に耐えるために、筒状の銃身の後ろ側を塞ぐ尾栓とよばれる部分にねじを使うことが必須であり、このために日本では初めてねじが製作されたとするのが定説となっている。


あれ、ねじってものすごくね、と。

東洋ではそもそもねじ構造自体を独自に発見・発明することができなかった。

火縄銃にはねじが必須であったが、江戸時代では火縄銃のほとんどは新たに作るのではなく、以前の火縄銃の銃口を広げたりして、作り替えていたという。

1860年小栗上野介は西洋文明の原動力は「精密なねじを量産する能力である」と考え、一本のねじを持ち帰ったという。


すんませんねじさん今までバカにしてすんませんと、もうねじには足を向けて寝られないな、こりゃという気持ちに。
また、wikiの参考文献の無ねじ文化史というのもwebからpdfで見れるようで、これもまたおもしろい。


CiNii 論文 -  日本"無ねじ文化史"


あ、落ちはないです*5

*1:ドルフィーネたんかわいいです

*2:普通の生活すらできてないですが…。ハルヒ分やらくえんの影響も多分にあると思われ

*3:今風に直すと。あれ、これネタばれ?アウト?

*4:大事なことなので(ry。というか本題がここから

*5:螺旋でグレンラガンにつなげる前にねむい